セールスマン

0

    こんにちは、tamaxです。

    是枝監督おめでとうございます。

    今日はこちらもカンヌ受賞作『セールスマン』に

    ついて書きます。

     

    あらすじ

    妻、何があったんや。

     

    高校の国語教師エマッドと、妻のラナは若い夫婦。

    二人は共通の趣味で演劇もやっており、アーサー・ミラーの

    『セールスマンの死』の舞台が始まるころ、住んでいた

    アパートが老朽化で突然取り壊され住む場所を失う。

    演劇仲間のおじさんに、「いい空き家あるよ」と紹介され

    行ってみると前に住んでいた女性と子供の荷物が置きっぱなし

    だったりしてちょっと気持ち悪いけど仕方ないので住むことに。

    するとある夜、一人で夫の帰りを待ちながらシャワーを浴びようと

    していたラナは、てっきり夫が帰ってきたと思いドアのカギを開けてしまった。

    実は夫ではない何者かが家に侵入し、ラナは頭に大怪我を負ってしまう。

    命は無事だったもののショックを受け憔悴するラナにどう接していいのか

    わからなくなったエマッドは、次第に犯人を突き止めることにのめり込んでいく。

     

    嫌なことしか起こらないアスガー・ファルハディ監督作品です。

    今回も嫌なことしか起こりません。

    夫婦はまだ子供がいませんがこれからって感じで、夫のエマッドは教え子たちからの

    信頼も厚い好青年。奥さんは美人です。二人が引っ越した空き家というのが

    前の住人の荷物が残ってるどころかもう完全に他人の家なんです。

    そんな生々しいところに住まなきゃいけないことがすでに嫌。

    さらにわりかしすぐに奥さんが入浴中に何者かに襲われてしまいます。

    夫は警察に届けようとしますが、性的被害に遭ったことを他人に絶対に知られたくない

    奥さんはかたくなに拒否。ですが心的ショックで日常生活もままならず、それが

    エマッドはだんだん負担になっていきます。

    ラナとうまくいかなくなったストレスで、人気者の先生だったのに生徒に当たるように

    なったり、劇団仲間にも暴言を吐くようになるエマッド。

    特に、自分を慕ってくれていたある生徒がちょっとしたイタズラをしたことで

    激高し、決定的にその生徒を傷つけることを言ってしまったりとか。

    だんだんとエマッドの身勝手さが顔を現しはじめます。

     

    ラナは事件のとき何があったのかはっきりとは語りません。

    お国柄ということもありますが、ラナが望むのは可哀そうな自分を慰めて

    癒してもらいたいだけなんですね。

    ところが夫の方は真相の解明、制裁の方に意識が行ってしまう。

    象徴的でハッとするシーンで、劇団の一人の女優が連れてきている5歳くらいの

    男の子を、少し元気になってきたラナが自宅に招いて3人で食事をします。

    子供の力もあって和気あいあいとした食事がはじまろうとしたとき、

    会話の流れでこの食材を買ったお金は、犯人が置いていったものだと

    エマッドが気づくのです。

    そこで男のプライドが発動したエマッドは「こんな食事は食うな!ピザとろう!」と

    なってしまいます。

    せっかく子供が来てくれてラナも嬉しそうで少し雰囲気がよくなりそうだったのにこれ。

     

    奥さんの夫への評価が下がっていくのと反比例して、エマッドはなかなかの探偵ぶりで

    犯人らしき人物を突き止めます。そして本人を呼び出し、家族にバラすという復讐を

    叶えようとします。この犯人がまた、「えぇ…おまえ??」という意外な人物で

    それが明らかになるくだりも面白かったです。

    この犯人が実は同情を禁じ得ない人物で、観てる方ももういいじゃんって気持ちになって

    くるのですがエマッドの気持ちは収まりません。

    最終的には本人(妻)がもういいって言い始めます。

    結局エマッドは家族にはバラさないことにするのですが、どうしても制裁を一発喰らわせて

    しまいます。そしてそのことがこの夫婦に、犯人とその家族にも一生消えない傷を残す

    ことになるのです。

     

    この映画を観て、まだ記憶に新しい山口元メンバーの一件を思い出して

    しまいましたね。

    被害者側のご家族が事件をなかったことにできなかったのは、自分の娘は

    傷ついているのに当人は以前と変わらずテレビに出ていたりするのが許せなかった

    からではないでしょうか。

    エマッドも、家族にはバラさないと決めたはいいものの、犯人が家族に愛されて

    また幸せな家庭生活に戻っていくことを見せつけられて納得がいかなかったのです。

    こちらとしてはほんとにそれが、文字通り一発が、余計だったよなぁと

    思わざるをえないのですが。でもやっぱりその一発が、彼の(男の)尊厳そのものだったのです。

    また妻の方なんですけど、私も若い頃鍵の閉め忘れによる居空きに2回入られたことが

    ありますが、そのときは犯人が憎いとかじゃなくて自分の間抜けを悔いましたね。

    ラナもただでさえ女性の貞操に厳しい国ですから、自己嫌悪の方が強かったんじゃないかと

    思います。

    山口元メンバーの件でも、被害者の女子高生にも非があるという意見がたくさんありましたけど

    だったら男性の皆さんは24時間365日、襲われることを想定して生きていますかね。

    女性だってやっぱり気が抜けちゃうときとか信頼している人にはちょっとゆるくなって

    しまうときがありますよ。

    この映画を観るとこうした事件があったとき、仮に犯人に報復できたとしても被害者は

    やっぱり二度傷つく。これからも傷つき続けるということです。

    イランと日本は女性の立場という意味では似ている国なので、日本でもイランでも

    先人たちは一番賢い方法として「泣き寝入り」を選んできたんじゃないかと思いました。

    戸締りはしっかりしましょう。

     

     

     

     


    永い言い訳

    0

      こんにちは。tamaxです。

       

      今日は西川美和監督『永い言い訳』について書きます。

      100%…KUZUかもね!

       

      あらすじ

      人気イケメン作家である幸夫(もっくん)は、長年連れ添った妻(深津絵里)と

      二人暮らし。だが二人の間にはもう冷たい空気が流れるばかり。

      ある日、妻が親友と二人で旅行に出かけた隙に、浮気相手の黒木華を

      自宅に引き入れて不倫リンリン。

      その最中に交通事故に遭い、妻と親友の女性二人が亡くなってしまう。

      黒木華と朝イチャしているところに知らせを受け、そこから手続きやら

      葬儀やらマスコミ対応やらバタバタする幸夫。その間も涙が出るどころか

      哀しみすら感じない、完全に妻への愛を失っていた。

      黒木華もビビっちゃって逃げちゃうし、妻への後ろめたさ、そしてここ何年も

      悩みの根源であった「いい作品が書けなくなった」というジレンマで

      堕落していく。そんな中、事故の被害者説明会で妻の親友の夫である男(竹原ピストル)

      と出会う。幸夫とは対照的にめちゃくちゃ哀しみがるピストルと残された

      子供たちと交流を深めていくことになる。

       

      映画の冷めきってる夫婦にありがちなんですけど、今回もお前深津絵里相手に

      愛してないとか贅沢すぎるだろ!という話です。

      しかも浮気相手は黒木華って、ブス界の美女みたいなランクですよ。

      家に帰れば深津絵里がいるのに。

      ただ冒頭、美容師である深津絵里がこれから不倫相手に会うもっくんの散髪を

      してあげているシーンからの、黒木華登場の10分くらいの間でもうなんか

      すべてがわかる感じ。

      散髪というのは夫婦の営みというほどではないですが、充分なスキンシップだと

      思いますが、二人はなんか嫌味を言いあったり(主に言っているのはもっくん)

      まったくあたたかい空気が流れてないんですね。

      深津絵里ちゃんは学生の頃からの付き合いなようなのですが、美容師として腕がよく

      サロンの経営者でもあるやり手のようなんです。

      のっけからもっくんは「髪結いの亭主」なわけなのです。

      もっくんはなんか1、2作ヒットを出した作家で、顔と要領がいいからテレビにも

      出てタレント作家みたいな感じなんですが、内心自分には本当に表現したいもの

      芸術性というもののない凡人であることがコンプレックスなんです。

      妻はそれを指摘したりはしないのですが、妻が賢すぎ、昔から自分を知りすぎているため

      居心地が悪かったんでしょうね。

      だからなんかものすごい美人というわけでもなく、若くて物を知らず自分を尊敬してくれる

      黒木華がちょうどよかったんでしょう。

       

      もっくんはとにかく自分が大事。自分のことしか考えていないクズ野郎です。

      奥さんが死んでも世間体しか考えられず涙も出なかったのですが、その前に

      すごい男が現れます。人間で一番ゴリラに近い男、竹原ピストルです。

      ピストルは妻と一緒に亡くなった親友の女性の夫なんですが、被害者説明会で

      怒りと悲しみのあまりオレンジを投げつけます。そしてところかまわず

      吠えるように泣く。行動がゴリラです。

      ピストルには二人の子供がいて、長男は塾に通ってるくらいの秀才、妹も

      人見知りだけど可愛い保育園児。ピストルはトラックの運ちゃんだし、仕事中も

      悲しむのに忙しくて子供たちの面倒が見れないので、その役をもっくんが

      やることになります。

      子供もおらず得意でもなかったもっくんが突然のファミサポデビュー。

      自分とは住む世界の違うもっくんにも卑屈になるどころか「おまえ、いいやつ」

      とばかりに無邪気に接してくるピストルと、どこか自分に似たところのある

      インテリ肌の長男。長男はゴリラ系の実父よりもだんだんともっくんの方を

      頼りにしはじめたりもします。

       

      もっくんもすっかり家族の一員気取りで、このままずっといい関係が続くかと

      思われたのですが、ある女性が加わったことでわがままもっくんが再び炸裂。

      その女性はリアルにこれからこの家族の力になってくれそうな悪意のない人

      なのですが、自分のポジションが脅かされると感じたもっくんは鍋の席で

      暴言を吐き始めます。

      観ていてもうほんと、そういうとこだよとしか言いようがないシーンです。

      それを機に一度ピストル家族から離れ、ファミサポは終了となるのですが

      もっくんは妻を失ったことを題材にした私小説を再び執筆。

      ピストルの家族ともよい関係に戻ります。

       

      兼ねてから人間には2種類あると感じていました。

      「目覚めている人」と「原始的な人」です。

      文明社会というのは人を目覚めさせますので、目覚めれば目覚めるほど利己的になりますし

      誰かと一緒に生活したり子供を育てたりするような「煩雑でリスキーなこと」を

      回避しようとするのは当然なのです。

      もっくんは人間的には幼稚ですがインテリなので、目覚めている人です。

      だから同じく賢い妻の深津絵里との間に溝はでき、子供も作らなかったのです。

      ちょっとサンプルが強すぎですが竹原ピストルは原始的な人。

      人間である前に動物である彼らは、家庭を作り、苦労しながらも子供を育て、

      家族を失えば感情をめいっぱい表現して悲しみます。直情的なのです。

      動物的ではありますがある意味生きるという意味ではとても賢いのが

      原始的な人々なのです。生き方がシンプルなのですから。

      その証拠に、あんなに妻を亡くして哀しみに暮れていましたがしばらくしたら

      恐らく後から手を差し伸べてくれていた女性とまた家庭を作るんじゃないかなと

      思います。

      ところがピストルの息子、どこか原始的な父親に嫌悪感も抱いている男の子は

      もっくんの方にシンパシーを感じているんですね。彼も母親が亡くなったとき

      泣くことができなかった、自分は冷たい人間なのかと悩んでいます。

      もっくん同様、息子は感情がもっと複雑なんですね。

      悲しみ方の違いというのがテーマになっていると思います。

      同じく、悲しみ方の違いを描いたニコール・キッドマン主演の『ラビットホール』

      という映画があります(感想はコチラ)。

       

      もっくんと深津絵里ちゃんの夫婦はけして愛し合っていなかったわけではなかった。

      もしかしたらピストルの夫婦以上にお互いのことを深いところで理解しあって

      いたんじゃないかと思います。だけれども二人は一般的な幸せな家庭を築く道を

      選べなかった。目覚めすぎていたから。そこがとても切なく描かれていました。

      人間は目覚めるべきなのか、動物でいるべきなのか、永遠の悩みです。

       

       

       

       

       

       

       


      の・ようなもの

      0

        こんにちは、tamaxです。

         

        今日は森田芳光監督初期の作品『の・ようなもの』に

        ついて書きます。

         

        電車がない。

         

        あらすじ

        落語家の卵、志ん魚(しんとと・伊藤克信)は同じ門下の

        先輩後輩たち(でんでん、尾藤イサオetc)と和気あいあいと

        モラトリアムに暮らす23歳。

        落語仲間たちのカンパで、童貞を捨てに入ったソープで

        エリザベス(秋吉久美子)という大当たりを引き当てる。

        ガツガツしておらず、つかみどころのない軽やかさ、

        人間的な愛嬌をもつ志ん魚を、なんと嬢が気に入り

        自分から連絡先を教えてくれたのをきっかけに、

        二人は恋人でも友達でもないつかず離れずの関係になる。

        落語の才能はないものの、女子高の落研や団地のテレビ局と

        仲良くなってドタバタしているうちに、ある女子高生に

        一目ぼれしそっちとも付き合うことになる。

        仲間とのぬるいけれど楽しい日々、人生の旨味を教えてくれる

        ソープ嬢とのおいしい関係。通りすがりの人に殴られても文句は言えない

        幸せ野郎の志ん魚だったが、交際を認めてもらうため

        女子高生の父親に見せた落語に辛辣な評価をされたことで

        彼の中で何かが変わっていくのだった。

         

        森田芳光監督の実験的なカルト作品と言われていますが

        冗長な部分やヘタクソな部分もすべて計算通りの

        「ねらった」作品のように感じました。

        前半の寒いまでのドタバタカオスは、その後のセンチメンタルな

        展開を効果的にするため。

        大林宜彦『さびしんぼう』と同じ手法です。

        全員芽が出ず、貧乏な落語家仲間は寄席のあと終電を逃すと

        朝までどこかで時間をつぶすか、歩くしかないのです。

        それでもみんなでふざけながら、この時間を永遠のように

        感じている彼らにとっては大したことはありません。

        前半やたらとガヤガヤいっぱい出てくる女子高生、

        団地妻たちの描写もそう。

        意味のないおしゃべりに興じ、くすぐりあって笑うだけの

        高校生、テレビを眺めて献立を考えるだけで日が暮れる

        団地妻たちの時間もまたダラダラと続くように見えます。

        「日々の終電がなくなっても困らない」人たちなのです。

         

         

        一人だけ大人びて、醒めたように振舞うソープ秋吉もまた

        身体で稼いだ金で贅沢をしたり美味しいものを食べて

        気ままに暮らしているけれど、このような生き方がいつまでも

        できるわけではないことに本人は気がついています。

        ソープ秋吉が志ん魚に惹かれたのも「宙ぶらりん」という点で

        二人は似た者同士だったからです。

        ところが無邪気な志ん魚は女子高生と二股をはじめます。

        けしからんことに秋吉公認で。

        しかしそうおいしい思いばかりはさせません。

        女子高生を送りに堀切の実家までのこのこやってきたところで

        その父親に落語を見せてみろと言われます。

        いいですよ!と一席披露したところ「いや、君、全然つまらないんだけど?」と

        心からの正直な感想を聞かされてしまいます。

        このお父さんが映画の切り替わりの合図。

        ふわふわした自分の世界の登場人物たちに囲まれてきた志ん魚にとって

        女子高生のお父さんがはじめての「現実」「常識」「社会」でした。

         

        ショックを受けて(あまりそうは見えないのですが)、電車がないので

        夜の街を歩いて帰るシーンがはじまります。

        ぶつぶつと流れる景色を実況しながら。志ん魚がはじめて自分自身と

        これからの人生に向き合うシーンです。

        このシーンは何がすばらしいって東京の、バブル前の東京の、貴重な

        建物や景色が、セットではなく本物がフィルムにおさめられているところです!

        私もここ10年くらいは東京の谷中、日暮里、向島、浅草、上野、千住

        といった落語に出てくる界隈に馴染んでいるので観ていてとても

        興奮しました。

        ※私は常々落語に出てくる街こそが真のTOKIOだと思っています。

         

        このただ景色を眺めながら夜通し歩いた時間を通過儀礼に、相変わらず

        すっとぼけてはいるけれど志ん魚の中で何かが変わったのでした。

        あと志ん魚のことが好きだけど、すぐホテルに誘われてもきっぱり

        断り、つまらない落語を「つまらない」とはっきり言った女子高生も

        またなかなかのいい女です。

        そしてそのことをテレパシーで察知したかのように、自ら去っていく

        ソープ嬢秋吉。

        劇中では性欲過多でしょうもない先輩を演じていた尾藤イサオの

        美声が流れるエンディングまで全部森田監督の想定内。

         

        私は森田芳光監督作品では断トツで『ハル』が好きなのですが

        これが今となっては懐かしいやら恥ずかしいやらのインターネット

        黎明期を実にしつこく記録に残した映画と言えます。

        『の・ようなもの』にも言えることなのですが、こういうのって

        後から観ると笑っちゃうよねーっていうのではなくて、

        後から観た時のことを予想して撮っていたんじゃないのかなって

        思ってしまうんですよね。

         

        の・ようなものも青春映画でありながら一つの時代の記録映画として

        非常に貴重です。

        特に終盤出てくる吾妻橋のアサヒビール本社ビル。

        昔はレトロなビアホールだったんですねぇ。

        あのウンコが出現したのは1989年だそうで、東京の街はウンコ前

        ウンコ後ではまったく違う様相を見せるなぁと感動しました。

         

         

         

         

         

         

         


        << | 2/56PAGES | >>

        PR

        calendar

        S M T W T F S
           1234
        567891011
        12131415161718
        19202122232425
        262728293031 
        << August 2018 >>

        selected entries

        categories

        archives

        recent comment

        recommend

        links

        profile

        search this site.

        others

        mobile

        qrcode

        powered

        無料ブログ作成サービス JUGEM