ある過去の行方

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    こんにちは、tamaxです。

     

    先日『辛口誕生日事典』という占いの本を立ち読みしたんですが

    これがすごく当たっていましてね。

    私の誕生日はズバリ『ゲスい』と書かれていました。

    ゲスい話が大好きな私には、イランのアスガル・ファルハーディー監督作品は

    大好物です。

    『彼女が消えた浜辺』

    『別離』

     

    今回は『ある過去の行方』について書きます。

    略奪失敗。

     

    あらすじ

    美人だけど痛い女、マリーと正式に離婚するため、母国のイランから

    パリへ戻ってきたアーマド。

    アーマドはマリーの二番目の夫で、最初の夫との間の娘が二人いた。

    ところが家に戻ってみるともう一人見たことない少年が一緒に

    暮らしている感じ。実はマリーはすでに三番目の男と一緒になる

    準備中で、男と連れ子も一緒に住んでいたのだ。

    そんな針の筵のような状態の家に、まあゆっくりしていってくれやと

    言われるアーマド。

    マリーの二人の娘はアーマドに懐いているのですが、長女のリュシーは

    多感な女子高生。母親の男遍歴と新しい彼氏を受け入れられず、

    グレかけている。

    マリーに頼まれて元妻の現彼氏と一つ屋根の下で生活しつつ、心を

    閉ざしている長女の悩みを聞いたり、精神的に荒れている連れ子の

    少年をなだめすかしたりと忙しいアーマド。

    しかし長女の話を聞くうちに母親と彼氏の穏やかではない状況が

    次第に明らかになってくる。

     

     

    離婚手続きが終わるまで、アーマドはホテルに滞在するつもり

    だったんですが、マリーの手違いでマリーの家の二段ベッドに

    寝る羽目になります。

    これはマリーの策略。すでに新しい彼氏がいて妊娠も

    しており、その男と連れ子も来ている家にあえてアーマドを

    泊まらせるのです。

    女の元夫と新恋人が鉢合わせるというテラスハウス。

    なんでそんなことをしたかというと、実はこの離婚ツアー

    そのものがマリーのあてつけ企画。

    マリーはまだアーマドに未練があるというのです。

     

    マリーは街の調剤薬局で薬剤師をしているので、経済的には

    自立している女性ですが、精神的には依存の塊です。

    アーマドと事実上離別し、一人になってからは薬局に通っていた

    同じ商店街のクリーニング店の店長と付き合い始めます。

    しかし店長もまた一緒にクリーニング店を営む妻がおり、

    W不倫状態。

    クリーニング店妻は元々鬱を患っていたようなのですが

    店で洗剤を飲んで自殺未遂をはかり、現在は植物状態。

    しかも娘からの聞き取りによると、妻の自殺未遂は

    マリーと店長の浮気を知ったことによるものだという。

     

    一気に知ってしまえばよくあるゴシップネタなのですが、

    説明的でなく丁寧に状況を描くことで小出し小出しにされて

    いくので、下世話な話なのにとても品がある、それが

    この監督の特徴です。

    芸が細かいの一言で、たとえば最初のシーン。

    マリーが空港へアーマドを車で迎えに行き、ロビーで彼の

    姿を見つけるととても嬉しそうに軽く跳ねたりなんかして、

    ああ恋人か夫婦の再会かな、と思うのですがいざ車に

    乗り込むとなんかおかしい雰囲気で口喧嘩なんかはじめる。

    あれあれ?と思ってよく二人の会話を聞いているとなんだ

    元夫婦でこれから離婚の調停かい、と納得。

    ところがさらに後になってみると、マリーの心には

    いまだアーマドの存在が大きいということがわかってきます。

    そうすると一旦はスルーしたあの空港での嬉しそうな姿を

    思い出してあーなるほど!となるのです。

     

    あの表情はなんだったのか、あの言葉の意味はなんだったのか。

    普段の人間生活の中ではお互いの心情やこれからどうなっていくのか

    すべてわかってるなんてことはないですよね。

    部分部分をその人なりの解釈でつなぎ合わせていくことによって

    一つのストーリーができていくわけなのですが、そのストーリーは

    十人十色。事実は一つでも、そのストーリーはすべて違うのです。

    ここが本当におもしろい。

    アーマド目線ではしんどい探偵物語。長女目線では青春物語。

    マリー目線では昼ドラ。そして、これは結末を示唆してしまいますが

    クリーニング店長目線では純愛物語。

     

    結局ですね、最後はいろんな人を不幸にして振り回したマリーと

    クリーニング店長、というか主にマリーは「過去はすべてなかったことに」

    と言って吹っ切ることにしたみたいです。

    すごいですよね、おなかの子もなかったことにですよ。

    まあ彼女にとっては妊娠もあくまで手段なのです。

    アーマドはいろいろがんばったにも関わらずあっさりイランに帰って

    しまいます。

    ここで映画の中で一応「マリーはアーマドに未練がある」という設定そのものも

    怪しいということがわかってきます。

    マリーは単なる寂しい女。観客自ら気づかせるようになっています。

    さらに最後の一ひねりはいきなりの感動路線に転換したように見えるのですが

    それも恐らく意味があり、「『過去』だったことも、突然『未来』になる。

    事実からは逃れられない」というメッセージではないかなと思います。

     

    早く結論を知りたい、一個だけ知りたい、というタイプの人には

    まどろっこしいと思いますが、あーでもねーこーでもねーとゲスい

    思惑をめぐらせたい人間にはとってもおもしろい作品です。

     

     

     

     

     


    大統領の料理人

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      ボンジュール、tamaxです。

       

      今日は料理を題材にしたフランス映画、以前読者のひらたまきさんに

      おすすめしていただいた『大統領の料理人』について書きます。

      糖質制限?ナニソレ。

       

      あらすじ

      南極基地の取材に来ていたTVクルーたちは、現地でおばさんが

      シェフとして働いているのを知りがぜん興味を持つ。

      しかもなんとその人はここへ来る前にミッテラン大統領の

      専属シェフを務めていたというから驚き。

      興味津々丸で近づくものの全く相手にはされない。どうやら

      大統領のシェフ時代はなかなかヘビーだったようだ。

      場面は南極時代と大統領シェフ時代を行ったり来たり。

      片田舎のレストランのシェフだったオルタンス(おばちゃん)は、

      ある日突然家の前に黒い車が止まり、エリゼ宮に連行される。

      一度名刺を交換しただけのジョエル・ルブションたっての推薦で

      大統領の専属シェフにならないかというドッキリみたいなお誘いだった。

      とまどいつつも引き受けることにしたオルタンスは、大統領の好む

      「フランスのおふくろの味」を再現し、喜ばせることに

      やりがいを見出していく。

      ところが、ぽっと出のおばちゃんに仕事を奪われた元々いた厨房の

      連中からはいやがらせをされ、経理や大統領の主治医からは

      コストやカロリー面で厳しい制約を課され、オルタンスは

      窮地に追い込まれていく。

      そして何がどうなって南極まで来たのでしょうか。

       

       

      おばちゃんおばちゃん言っていますが、主人公のオルタンスは確かに

      熟女ではあるのですがしゅっとしていて、いつも女性らしく

      それでいて男性のようにしっかりと頼りになる男気溢れる素敵な

      女性です。

      厨房で実際に料理を作りますが普段着のブラウスとスカートに

      ネックレスもして、その上にエプロンを羽織るだけなんです。

      コック帽やコックコートを着た厨房の男性コックたちとの明かな

      違いです。

      オルタンスの料理は日常の料理、おかんの料理です。

      だから味付けも結構適当。オルタンスの助手として、若手の

      男の子がつくのですがオルタンスが調味料の配分を指示していると

      彼に「全部で4/3ありますけど?」とか突っ込まれたりする。

      ですがオルタンスの作る料理は天性のもので、大統領が希望していた

      「素朴なフランス料理の原点」のような料理を次々と出して

      気に入られます。

      画作りが美しい。鴨のナンタラとかナントカのパイ包みとか

      これのどこが家庭料理なんじゃいという言いたくなるほど

      素材の良さを引き出した官能的料理の数々です。

       

      しかし官邸も厨房も完全なる男社会。

      質の悪い男のイジメによって立場が悪くなっていくのですが、

      それよりもなによりもオルタンスが不満をもったのは

      「必要とされている実感を持てない」ということだったように思います。

      男だらけの職場では、男たちは自分はキャリアが何年だとか

      レベルがどうだとかそういうところに誇りを持っているから

      いいのですが、オルタンスが欲していたのは「大統領が

      何を好んで、何を喜んでくれたか」なのです。

      大統領はオルタンスのこともちゃんと認め、大事な昼食会の

      あとにはわざわざオルタンスのもとへやってきてお礼を

      言ってくれたりするのですがいかんせん忙しいので

      そこまで料理人に時間を割くことはできません。

      オルタンスはもっと感想を言ってほしそうでした。

       

      この映画のニクいところは、ミッテラン大統領が実際に

      「オルタンスの料理を食べるシーン」を極力映さないのです。

      料理が運び込まれたら、オルタンスは厨房で終わるまで待ち、

      サーブした人に「どうだった?反応はどうだった?」と

      聞くのですが「うーん、おいしそうに食べてましたよ?」とか

      言うだけ。実感が乏しいんですね。常に一方通行。

      なのでオルタンスの大統領の料理にかける想いも次第に

      エスカレートし、本物のポルチーニ茸を取りに行くために

      飛行機でとんぼ返りしたりと美味しんぼもビックリなことになり

      経理担当者に注意を受けます。

      「アタシは大統領に最高の料理を食べてもらいたいだけなのに」

      段々と自分らしさを失って、夜の厨房でげんなりしているところに

      お忍びで大統領が!

      ここではようやく大統領は、暗い厨房でオルタンスの目の前で

      トリュフを食べてくれるのです。

      このシーンは夢か幻のようにささやかですが、いつも孤独な

      オルタンスが一瞬報われた感動的なシーンです。

       

      しかし方向性の違いとイジメに疲れてしまったオルタンスは

      ついに大統領の専属シェフの座を降りることにします。

      辞表と一緒に大統領への手紙を残して。

      この手紙のナレーションは、涙なくして見られません。

       

      「私の仕事は、報われることの少ない日陰の仕事です」

       

      誰かのために料理を作る人は、誰もが料理人だと思います。

      私も今は夫と息子に毎日料理を作っていますが、こんな

      メシマズでもやっぱり感想を聞きたいし美味しいと言って

      もらえたら達成感を味わいます。

      しかし自分が子供のころ、朝昼晩と我々に料理を作って

      くれた母に、はたして毎度毎度感想やらほめ言葉を

      言っていたでしょうか。

      時にはぞんざいに扱ったりもしたかもしれません。

       

      オルタンスの手紙はこう続きます。

       

      「それでも、あなたのために料理を作るのが好きでした」

       

      オルタンスと大統領の間には恋愛感情はなかったかもしれませんが

      それ以上に強い繋がりがあったのではないでしょうか。

      しかしながら映画は、その後の大統領や厨房で関わった人間たちとの

      エピソードは出てきません。

      オルタンスが去って、元の厨房の奴らは「イエー!」とか言って

      喜んでるし、なんだよ、結局女性がつらいだけじゃん!と思うのですが

      最後には、やはり女性の強さ柔軟さも感じることができて

      しみじみいい映画ダナーと思いました。

       

       

      みなさんも、料理を作ってくれた人にはしつこいくらい

      感想を言ってあげてくださいよ。

      ノーコメントが一番つらいんだから。

       

       

       

       

       

       


      打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

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        こんにちは、tamaxです。

         

        今回は最近アニメ映画化もされた岩井俊二監督作品

        『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に

        ついて書きます。

         

        美少女なんで、よろしく。

         

        小学6年生の夏休み。

        仲のいい五人組男子は、今日の夜行われる花火大会の

        話で盛り上がる。

        花火は真横から見たら丸いのか?平っぺたいのか?

        夏休み子供電話相談にでも聞けばいいような素朴な疑問で

        意見が分かれた五人。

        高い灯台に上って確かめてみることになる。

        一方、典道(山崎裕太)は同じクラスのナズナ(奥菜恵)に

        淡い恋心を抱いていた。

        親友の雄介もナズナが気になっていて、告白したいと言っている。

        そんな二人の気持ちを知ってか知らずか、放課後プールで泳ぐ

        典道と雄介のもとに表れたナズナは、50メートル泳ぎの競争と

        勝った方と花火を見に行くことにする。

         

         

        このときの奥菜恵は、宮沢りえのデビュー当時に匹敵するくらいの

        美少女ぶりです。宮沢りえほどの透明感はありませんが、少女らしい

        垢ぬけなさが逆に魅力になっています。

        体格ももう大人とほぼ同じで、とても12才には見えません。

        ナズナは実は両親が離婚し、夏休みが終わったら引っ越すことに

        なっているようです。

        それを典道たちには告げずに、二人を競わせて、勝った方と

        一夜限りのヤケクソナイトすることにしたのです。

        とはいえ、あくまで小学生ですからやることといったら

        バスに乗って駅まで行ってみたり、夜のプールで泳ぐくらいの

        ことなのですが。

         

        この映画は二部構成になっていて、50メートル競泳で雄介が

        勝ったパターンと、典道が勝ったパターンに前後半で分かれます。

        雄介はナズナに花火に誘われますが、なぜか待ち合わせにはいかず

        男グループで灯台に向かいます。典道がナズナを迎えに行くのですが

        ナズナを追ってきた毒母に連れ戻されてしまいます。

        「もし俺が最初からナズナと会えていれば!」そこで場面は

        もう一つのパラレルワールドへ。

         

        ナズナと逃避行に出ることに成功した典道ですが、駆け落ちしようと

        言ったり「何言ってんの?電車なんか乗らねえよ」と情緒不安定な

        ナズナに振り回されてんてこ舞い。

        現実から逃げ出したいと思っているナズナですが、それがまだ

        今の自分にはできないこともわかっています。

        二人は花火大会にはいかず、夜のプールでふざけて泳ぎます。

        出た!夜のプール。

        少年少女の性の芽生えといえば夜のプール。

        夜のプールといえば性の芽生えですね。

        そのころまだまだ子供な少年4人は横から花火を見るために

        ヒーコラ灯台を目指しているところです。

        彼らは女子に興味はあるけれど、まだ恋愛対象というわけでは

        ないのですね。

        ナズナにせっかく誘われたのにすっぽかしてしまった雄介は

        ある意味まだ覚悟ができていなかったのでしょう。

        まだ子供のままでいる方がいい、そう思ったのでしょう。

         

        しかしもうすでに「大人の女」であるナズナと夜のプールに

        入ってしまった典道は、境界を越えてしまったのです。

        出てくる子供たちは全員12才のはずなのですが、主人公の

        典道はまだ9歳くらいにも見えるほどあどけなく、背が高くて

        中学生くらいに見える男子も5人の中にはいるのですが

        そいつが一番子供っぽかったり。

        人は年齢は同じでも年の取り方がちがうということを

        表現したかった映画かもしれません。

         

        最後、花火大会を見ることができなかった4人の少年と

        1人の少年。

        花火師が気を利かせて一発だけ残っていた花火をあげて

        くれたのを、4人の少年は灯台の上で今だ子供時代の

        渦中にいるものとして「横から」見て、典道とナズナは

        過ぎ去っていくものとして「下から」見上げたのでした。

         

        私はボーイミーツガールという言葉がとても好きなのですが

        この言葉のいいところは「ガールミーツボーイ」じゃないってことです。

        いつでもガールにミーツするのはボーイなんです。

        ボーイが目覚めるのを待っているんです。

        たとえば、最近家族で温泉に行った際、2歳の息子を連れて

        女湯に入ったのですが、ダンナに「何歳まで女湯に入れていいのかね?」と

        聞いたところ「女湯に入りたいと思うまで」という回答を得ました。

        つまり、そういうことなんでしょうね。

         


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